No Music, No Life.
No Music, No Life. 6
活動拡大時代 転居を機に活動が多様化 親と環境が用意してくれたレールから脱線し、音楽家になりたい、音楽で自立したいという一念をよりどころに無我夢中でバレエと声楽の伴奏の仕事を中心に活動を続けてきた私だったが、2000年代後半からは不思議と自分の意志を超えたところで伴奏以外のジャンルにも仕事が広がり始めた。結局のところ、現在までに・コンサートや音楽イベントのプロデュース・バレエ史研究・ソロでの演奏活...
東京藝大博士課程修了・昭和音大講師が責任指導
No Music, No Life.
活動拡大時代 転居を機に活動が多様化 親と環境が用意してくれたレールから脱線し、音楽家になりたい、音楽で自立したいという一念をよりどころに無我夢中でバレエと声楽の伴奏の仕事を中心に活動を続けてきた私だったが、2000年代後半からは不思議と自分の意志を超えたところで伴奏以外のジャンルにも仕事が広がり始めた。結局のところ、現在までに・コンサートや音楽イベントのプロデュース・バレエ史研究・ソロでの演奏活...
No Music, No Life.
伴奏ピアニスト専業時代 フリーランスの音楽家の悩み 研究科修了で、私は名実ともにフリーランスのピアニストという立場になった。この頃私はすでに音楽だけで経済的自立を確立できていた。 収入源は、伴奏とソロ演奏と指導の3本立てで三者がほぼ均等という状況だった。 伴奏は声楽のレッスンやコンサート、オーディション、コンクールなどが中心で、《カルメン》、《ラ・ボエーム》、《椿姫》などのオペラの稽古ピアニストや...
No Music, No Life.
駆け出し時代 スパルタ式伴奏者養成 ピアノ専攻に転科してからはますます伴奏の仕事が増えていった。副科から主科になったことで学校でのピアノの指導教員の姿勢もスパルタ式になった。音楽学校は当時3学期制だったので年3回実技試験があった。研究科2年間、6回の試験では ①バッハ平均律 ②ショパンエチュード ③近現代 ④ベートーヴェンソナタ ⑤スカルラッティ ⑥自由曲(修了試験)と、おおまかな課題が決まってい...
No Music, No Life.
音楽学校時代 人生初、音楽の専門教育 東京声専音楽学校は、中央・総武線の大久保駅から徒歩5分のところにある声楽家・下八川圭祐氏が昭和15年に設立した専修学校。氏は、戦前から戦後間もない時期に活躍したバリトン歌手で世界的テノール・藤原義江氏の盟友だった。 もともとは下八川氏の声楽教室から始まった学校なので音大ではなく専修学校といえど、声楽教育では古参の名門校と評価されていた。下八川氏は藤原義江氏の後...
No Music, No Life.
早稲田大学時代 東大不合格 大学受験の結果、東大は不合格。早稲田と中央大には合格した。東大不合格を告げた時、父は「お前は本当に頭が悪いやつだ。馬鹿だ」と吐き捨てるように言った。私は「そんなに東大に行きたきゃ、自分が行け」と言い返した。 父に対しては激しい憎悪を感じたが、一浪して捲土重来を期し、父を見返す気力はもう残っていなかった。人間は、魂の底からの情熱を感じないものに対して、何年も頑張り続けるこ...
No Music, No Life.
子ども時代 生母による育児放棄 大阪府豊中市に生まれる。 母親は、生まれたばかりの私を助産院に置き去りにし、実家に直帰。電話で出生の一報を受け、慌てて私を迎えに来た父親と父方の祖母の元で育つことになる。生後半年で、両親が正式に離婚。母親からのコンタクトは、誕生から今日に至るまで、一切ない。父と母の関係がどのようなものであったかは父の側の断片的かつ感情的な話しか聞いていないため、真相はわからない。た...
