活動拡大時代
転居を機に活動が多様化
親と環境が用意してくれたレールから脱線し、
音楽家になりたい、音楽で自立したいという
一念をよりどころに
無我夢中でバレエと声楽の伴奏の仕事を中心に
活動を続けてきた私だったが、
2000年代後半からは不思議と
自分の意志を超えたところで
伴奏以外のジャンルにも
仕事が広がり始めた。
結局のところ、現在までに
・コンサートや音楽イベントのプロデュース
・バレエ史研究
・ソロでの演奏活動
・ピアノ教室経営
・コンサルティング
…などの仕事に携わることになっている。
その転機のきっかけとなったのは
不妊治療の失敗と台東区への転居だった。
この非公式プロフィールは
音楽関係に焦点を当てて書いているので
不妊治療についての詳細は機会を改めたいが、
結論だけ書くと…
不妊の積極的原因は不明(しいて言えば年齢)。
約1年半にわたって
できる手はすべて打ってチャレンジしたが
医療ミスなどもあり、望む結果は得られず、
残るは海外での卵子提供か、
納得いくまで顕微授精を繰り返すかの
二択となったところで、
すっぱり心の整理がついた。
その区切りの意味もあり、
長年住んだ家を変わろうかという話が
夫との間で持ち上がったのが2008年。
夫も私も地方出身のため
音出し可の賃貸物件が豊富な江古田に
長らく住み続けてきたのだが、
賃貸ではなく、
家を買って防音室を作れば、
江古田以外の場所に住むことが可能だと
気づいたのである。
居住地が江古田に限定されないのならば、
夫と私の共通の趣味である歴史・文学に関係した
名所旧跡のある地域に住むこともできる。
そこで、我々夫婦は話し合い、
浅草や谷根千、上野公園が 徒歩圏にある
台東区に居を移す決心をした。
ローンを組んで家を買うということは、
社会人としての信用と実績を
銀行から評価されることでもある。
音楽家はローンを組めないと思われがちだが、
私はメガバンクの 住宅ローン審査に
希望通りの条件でパスした。
8桁の借金を背負うのは怖かったが、
その反面、音楽家としての自分が
一般社会から認められた喜びと自信を
私にもたらした。
コンサート・プロデュース
転居をきっかけに、
私はコンサート・プロデュースの仕事も始めた。
音大を出たわけでもない、地方出身の自分が、
子供の頃からの夢であった音楽家になり、
演奏1本で自立して、
東京の地に居を構えることができた。
その感謝の表明として、
ささやかでも文化の創造と発信を行い、
地域に貢献していこうと思ったのだ。
また、若い世代の音楽家が
経済的自立や音楽による社会貢献という問題を
もっと突き詰めて考える場所を
提供したかったこともある。
ARTS & HEARTS PROJECTと題された
声楽コンサートシリーズでは、
会場に毎回、 国連食糧計画(WFP)のための
募金箱を設置した。
このコンサートは
2020年3月に第91回を迎えたが、
コロナ禍により休止となった。
募金総額は110万円を突破している。
アカデミズムの世界へ
2016年4月から
私は伴奏の仕事を続けつつ、
東京藝術大学の大学院音楽研究科に入学、
アカデミズムの世界に本格的に身を置くことになった。
今から振り返ると、
演奏のキャリアは
「どうしても音楽家になりたい」と
強く念じて引き寄せた面が強いが、
研究者としてのキャリアは
積極的に望んだわけではなかった。
たまたま与えられた偶然に
後押しされてきた。
そもそも研究者としてスタートするきっかけは、
昭和音大の講師公募試験で書いた論文だった。
経営トップがこれに注目してくださり、
採用に際して
「この人は文章が書ける人材だから
演奏だけでなく、
研究者として論文も書けるよう
育ててやってほしい」 と頼まれたと、
直属のボス(教授)から告げられた。
そんな成り行きだったので、
とりあえず3本ほど、
バレエ伴奏に関する論文を書いた。
しかし、研究を深めるにつれ、
バレエ音楽というものが、
アカデミック・ジャンルが
複数重なったところに位置する、
実に扱いにくい研究対象であることが見えてきた。
これはとても自分の手に負えない…と思い、
それ以上深入りすることは避けた。
そのまま十年以上の月日が流れた。
ある日、バレエピアニストの友人から
バレエ伴奏について研究している
藝大の大学院生を紹介された。
修士論文のフィールドワークとして、
現役バレエピアニストのインタビューを
行っているのだという。
彼女との会話から、
藝大では、
バレエやバレエ音楽を研究することが
可能だということがわかった。
自分の力の無さから
長い間中断してきた研究だが、
藝大という恵まれた環境下なら
これをきちんと結実させることが
できるかもしれない。
そう思ったら 居てもたってもいられず、
大学院を受験してみた。
思い立ってから試験まで2カ月しかなく、
仕事も繁忙期だったため、
正味ひと月しか準備ができなかったが、
幸い合格することができた。
メインの研究テーマは、 19世紀バレエと音楽。
このほか、修士時代は
サブの研究として日本歌曲、
特に戦前の台湾における唱歌や童謡の受容についても
研究を行った。
2018年3月に修士課程修了。
修士学位論文
『七月王政期バレエにおける 台本・音楽・振付の相互作用
――《ジゼル》における 「踊り」の両義性とその具現――』
修了時には大学院修了生総代を務め
成績優秀者に与えられる
「大学院アカンサス賞」をいただくことができた。
博士課程では
舞踊史上最大の振付家マリウス・プティパを
研究テーマに取り上げた。
コロナ禍で海外渡航制限がかかる中、
インターネットを駆使して
フランスやロシアの国立図書館の
オンライン化された資料・文献を解読して
調査を進めるうちに
当初の仮説からは
思いもよらない事実が浮かび上がり、
結局はプティパの個人史を超えた
ロシア帝国外交とバレエとの関係を
解明する結果となった。
2023年3月に後期博士課程を修了。
博士学位論文
『マリウス・プティパのインペリアル・スタイル
―—ツァーリズム化したロマンティック・バレエ——』
により、 学術博士の称号を拝領。
2024年8月、セリカ書房出版から
気鋭の研究者たちと共著の形で
修士研究をもとにした学術書
『ジゼル——初演から現代まで』
を出版。
ロシアピアニズムにたどりつく
私は10歳ごろに
最初のピアノの先生に疑問を持って以来、
ピアノのテクニックに関して
一貫して悩み、研究も続けてきた。
伴奏中心で活動してきたが
ソロが弾けない
バレエの世界には、
「ダンス・アカデミック」と呼ばれる
万国共通の基本が存在する。
しかし、ピアノの世界は、
指導者により言うことがまちまち。
「うまい」と評される人の多くは、 結局のところ、
骨格的に恵まれた人、
指が回る人だということが謎だった。
ピアノの構造や、
物理的な音の伝わり方、
解剖学的な観点が欠如したところで
奏法やトレーニングが語られるのも、
理解できなかった。
こうした疑問は、
現在の師である大野眞嗣先生と出会い、
ロシアピアニズムを知ったことで、
全て解決した。
1800年代に端を発し、
ロシアで脈々と継承され、
ホロビッツやアルゲリッチをはじめとする
世界第一級のピアニストが採用する奏法と音色。
世界標準の本物のピアノを学びたいという
子供の頃の願いが、
ついに叶えられたのだ。
奏法を変えたことの効果は劇的で、
以前は苦労して練習しても
なかなかうまくいかなかったパッセージが、
嘘のようにやすやすと弾けるようになった。
音色の多彩さも増した。
2024年7月には、
師の勧めもあり初のソロリサイタルを開催。
教室開講
駆け出し時代には
個人宅への出張レッスンやや進学塾併設教室の講師、
昭和音楽大学附属音楽・バレエ教室に公募採用後は
同教室の講師として、
私は長年ピアノ指導に携わってきた。
しかし伴奏の仕事が増えるにつれ、
相対的に指導に割く時間は減少、
2000年代後半には
大人の生徒を中心に数名という状態であった。
同時に、年齢や世代交代ということを考えると
いつまで現場にしがみつくこともできない、
という思いも抱えていて、
いつかは自宅で
ピアノ教室を開講する必要があるとも
考えてはいた。
そのため、2008年の転居の際には
開業を意識した間取りを選び、
交通の利便性も考慮に入れた。
また2016年の大学院進学で
研究遂行のためには
自宅での資料解読や執筆時間が
必要なことを痛感、
ますます教室開講を
真剣に考えざるを得ない状況となった。
そんな中、2017年秋に
かつての生徒が2歳の坊やを連れてきて
「先生、この子にもピアノを教えてください」
と切り出したことに背中を押されて、
ついに自宅教室開講を決意。
博士課程に進学した2018年4月に
《高島ピアノ塾》を開講した。
2024年9月の転居を機にレッスン室を拡張、
クラシック専用に音響設計された防音を施し、
レッスン環境の向上にも努めている。
音楽起業コンサルタント
世の中には妙な “常識” がある。
一般社会だけでなく、
クラシック音楽界の中にも
それは蔓延している。
「音楽は幼児期からの英才教育が重要」
「家族の応援がなければ音大進学は無理」
「演奏活動にはコンクールの賞歴が必要」
「留学経験は音楽教育上必須」
「音大を出ないと音楽家になれない」
「音大卒でないピアノの先生はもぐり」
「最低でも修士学位と留学歴、賞歴が音大講師の条件」
「藝大入学にはコネが必要」
「演奏会は持ち出し開催が当たり前」
「地縁関係のない場所での教室開業は困難」
そしてこれらすべてを包括する
「音楽では食べられない」
という社会通念。
これらのせいで
どれだけ多くの人が
音楽への愛を封じ込めて
「食える」仕事を選んできたのだろうか?
あるいは
音楽家としてのセルフイメージを下げて
卑屈な思いを抱えながら
演奏活動を続けているのだろうか?
私はまもなく20歳になろうとするときに
それまでとは全く違う進路を選択し直し
いくつもの悪条件を覆しながら
音楽家としてのキャリアを積み上げてきた。
それは、言葉を変えれば
こうした常識や思考が
実は単なる思い込みに過ぎなかったということを
一つ一つ証明するプロセスだったともいえる。
博士論文を執筆しながら
次の自分の一歩を模索していた時、
こんな自分の生きてきた足跡が
音楽の道に進もうとして迷っている人たちや
音大卒だが音楽で生計を立てられない人たちに
役立つのではないかとの思いが心に浮かんできた。
こんな思いから
2023年3月の博士課程修了を機に
私は音楽家のための
仕事とマインドのコンサルティングを開始した。
より広い世界へ
コンサルティングに携わり始めたことで
私はこれまでの自分の生き方を
音楽という分野よりも
さらに上位の視座から眺めることを
行うようになった。
「仕事で得られるお金は我慢料ではない」
「好きなことを仕事にして生きていける」
「人生は思った通りに創られていく」
「経済力があれば女性は自由に生きられる」
「オンライン世界はチャンスの宝庫」
私の経験から得たこれらの教訓は
音楽家に限らず、すべての人にとって
自分らしい生き方を選ぶための
勇気のメッセージとなりえる――
このことに気づいたことで私は
自分がコンサルタントとして手助けできる範囲を
音大生・卒業生よりも広い範囲へと
拡大することを決意した。
とはいえ、私は、
大学までは高学歴と呼ばれる道を歩んできたが
その後はクラシック音楽界という
一種の特殊な世界で生きてきた人間である。
個人起業家として
リアルとオンラインで成功しているとはいえ、
MBAホルダーでもなければ、
有名コンサルティングファームの出身でもない。
一般社会に属する方々から
コンサルタントとしての信用を獲得するには
Webマーケティングについての
知識とスキルの確かな裏付けが欲しいと感じた。
そこで私は
オンラインマーケティングの最高峰と言われる
プロダクト・ローンチという手法を学ぶことにした。
ローンチを教えるコンサルは世にあまたいるが、
私はローンチの創始者ジェフ・ウォーカーの
世界に4人、日本語圏では唯一の公認の講師である
池田秀樹氏を師に選んだ。
2023年から池田氏の講座を受講、
24年には初級レベルのローンチを指導する
認定コーチの資格を取得した。
さらに池田氏から直接スカウトされて
2024年からはローンチ・マネージャーⓇとして
起業家の大規模プロモーションの
総指揮を執る仕事にも携わっている。
教育家・美容家・スピリチュアル指導者、ビジネスコンサルなど
音楽以外の分野のクライアントの案件を担当したことで、
コンサルタントとしての経験値を上げることができた。
統合、それから先のことは…
ローンチの成否の鍵を握っているのは
実は「言葉」である。
マーケティング用語で言うならば
「コピーライティング」ということだ。
だからコンサルタントは
言葉の力に精通した
「言葉の使い手」でなければならない。
言葉による共感を生み出すには
逆説的だが、言葉そのものではなく
言葉の背後にある見えないバイブレーション、
「気」や「言霊」のようなもので
相手とコミュニケートする必要がある。
この点、
私がこれまで携わってきたクラシック音楽、
とりわけロシアピアニズムによるピアノ演奏には
「波動と共鳴による音の美を通じて
メッセージを伝え共感を引き起こす」
という作用がある。
言葉もまた、
とどのつまりは音の組み合わせであり、
音とは波動である。
波動は振動数の合うもの同士で共鳴する。
共鳴は、量子力学で引き寄せの法則を説明する際に
用いられる現象の一つである。
つまり、マーケティングも音楽演奏も
音の波動の共鳴で
人の心を動かす点が共通しており、
それは願望実現や引き寄せにも
相通じているということが
量子力学でも証明されているのである。
私のここまでの歩みとは
音楽家になるという夢実現の物語であり、
今、私が音楽家とコンサルタントの
パラレルワークで扱っているものは
ともに「音の波動と共鳴」なのだ。
コンサルタントとして
クライアントをサポートすることも
《高島ピアノ塾》でピアノを教えることも
演奏することも
オンライン上で発信を行うことも
さらにメタな視座から見れば、
同じことを異なる方法で実行しているに
過ぎないのかもしれない。
伴奏に集中した時期、
多方面に活動を拡大してきた時期を経て
今、一見、バラバラに見えるピースが
一つにまとまりかけている――
世界が大きく変わろうとしている中で
私もまた、
これまで生きてきた道のりを統合し
新しいステージの扉を開けるべき段階に
差し掛かっているのかもしれない。
